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目次

第一章 バカと呼ばれない男の背広哲学

第二章 酒場で恥をかかない大人の作法

第三章 人間関係を深めるために大切なこと

第四章 心を揺さぶる挨拶のしかた

第五章 いい仕事をするためのルール

第六章 人生を楽しむ、女性との付き合い方

第七章 好きな物へのこだわりと愉しみ方

第八章 「人間の器」を大きくする読書のススメ

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内容説明

●はじめに……人生には「型」がある。人生の「型」を覚えよ

幼い頃から、「型」にはまった人間になるなと教え込まれて育った。物事にとらわれない、自由な発想で人生を切り開けと、そう言われ続けて来た。戦後民主主義の旗の下、いわゆる団塊の世代は、何よりも「型」にはまったことは悪であると、叩き込まれたのである。

だがそういう教育を施された人間が成人し、職に就き、結婚し、家庭を持って子供を儲け、育て上げて見たものは、無節操で自分勝手な若い世代の、無残な姿であった。コンビニの前で無様に座り込む若者たち。公衆の面前でのあからさまな愛情表現。若い女性たちの、人目をはばからぬ電車内での化粧。親が子を殺し、子が親をあやめる凄惨な事件の頻発。

これらは何を意味するのか。確かな規範を持たずに国を動かしてきた大人たちの、自信のなさと、無節操、安易な金儲け主義、間違った個人主義。そしてそれらの元にある教育の荒廃。これらの連鎖によって、かかる事態は引き起こされたと断言できる。要するに我々は失敗したのである。

結局のところこれは、祖先から受け継いできた日本人の特質、類稀なる美質を、「型」にはまったものとして排除してきたことの結果である。ツケが回って来たのだ。本書で繰り返し語っている「型」は、昔ながらの日本人が守るべき道筋であり、民族的な教えである。道徳という言葉とも、いささか位相を異にするが、似ていなくもない。要するに古い戒めであり、こうでなければならないという民族的なルールだ。これを「型」、という言葉で表わし、説いたのが本書である。

~中略~

本書に書かれていることが、一つとして新しい内容ではないことに、筆者自身が驚いている。そしてそれらが如何に重要であることかにも、同様に驚く。当たり前のこと、真っ当なことが、どれだけなおざりにされてきたかと、暗澹たる気持ちになるのである。自由を謳う前に、守らなければならないことがあることを、日本人は忘れてしまったのだ。物事の理を知る前に勝手な思い込みを許してしまう非を、今こそ知るべきである。

また注意深く読んでいただければ、思想や原理に言及しても、宗教やイデオロギーには一切関わっていないことがわかるはずだ。広い意味での日本教とも言うべき規範や原則は登場するが、一定の宗教や頑なな思想は、ここでは無縁である。あらためて断わっておく。それは、日本には長い間に培った我々ならではのルールがあるからで、本書はそれを見直して、今の言葉で提示したに過ぎない。それほど、日本固有の発想は実は強固なのだ。

長い年月に編み出した「型」というものを、今ここで改めて見つめ直すことで、ひじょうに問題の多い状況に陥っている日本の現状を打破できるのでは、というのが本書の趣旨で、それは若者だけでなく全ての日本人に訴えたい内容なのである。

~後略~



●「第三章 人間関係を深めるために大切なこと」より

■13 冠婚葬祭で大事なのは葬儀のほうだ■

テレビの人気ドラマに「渡る世間は鬼ばかり」というのがあるから、現代の若者も世間という言葉に馴染みがある。だが昭和の時代に育った世代は、この題名が古い諺のもじりであることを知っているが、今の連中はこれがそのまま正しい諺だと思っているようだ。かなりの割合で、そう思われているらしい。正しくは「渡る世間に鬼はなし」。

しかしこのような言い換えやもじりが真っ当であると思い違いをするのも、無理はない。そういう時代、そういう国に、日本がなってきたようだからである。それはとにかく世間とは、外国語を日本語に直し、流布している意味での「社会」とか「世界」といった、環境や地理的意味合いとは別の、人間の集団で構成される状況である。

その世間を、身をもって感じるのが冠婚葬祭で、会社という組織や、学校という単位とは全く異なる位相を持つ。現代の日本がこれまでの国柄とまるで違ったものになったと感じるのは、この世間が質的に大変な変化を遂げたからで、断じるならそれは世間の喪失、とも言うべきものだ。

冠婚葬祭と書くとき、若者の頭にあるのはまず結婚式で、それも友達同士が結ばれて一緒になる門出を祝う、という意味合いが強い。儀式というより、イベントである。一方の葬式は、これは古風な儀式と思われており、その意味合いも重みも、結婚式とは大きく違う。簡単に言うなら、結婚式は若者の独り舞台で、葬式は年寄りが顔を合わせるためのもの、という認識が強い。

~中略~

しかし「型」を考えるとき、葬儀を軽んじてはいけないことに気づくべきである。一まとめに冠婚葬祭と呼ばれる、世間を知る上で大事な儀式の中でも、人生の厳粛さと重さを感じさせる葬儀に、もっと身を入れるべきだろう。少なくとも中年になると、このことに思い至る。なぜならそこには自分のこれからが投影されているからだ。そして、世間という結びつきの、一種の不思議さに打たれるからである。結婚は何度も可能だが、自分の葬儀は一度しかない、と納得するのである。

これは中年にならないと辿り着かない心境かもしれないが、法事や春秋の彼岸の集まりを子供の頃から当然の行事としてこなしていれば、若くても可能だ。そして法事や葬儀に集まる年寄り連中との関わりの中から、世間というものを学んでいく。長幼の序であるとか、葬儀の式次第における振る舞いといったものは、見よう見まねで会得するものだ。そこには日本人が作り上げた鎮魂の儀式の精華がある。

着物の着方や、作法にかなった所作などを、そのまま取り入れようとは思わなくとも、年寄りたちの立ち居振る舞いに、日本の古式の伝統と心の有りようを感じることは出来る。そしてそこから世間を見ることになるのだ。

~後略~

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