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新トヨタ主義の秘密

「大企業病」はどう克服されたか!?

目次

第1章 トヨタの異端児・奥田が取り組んだ10年改革

第2章 異端視されたハイブリッド技術を普及させたリーダーシップ

第3章 財界改革に挑戦した「もう一つの新トヨタ主義」

第4章 「異端の奥田」から「調和の張」へ受け継がれた「トヨタ主義」

第5章 「豊田綱領」に託されたトヨタグループ成功の秘密

第6章 信念と知恵で困難を克服してきた経営判断

第7章 「調整の渡辺」に託された「改革続行の経営」

第8章 豊田家4代目・豊田章男副社長とトヨタの次世代リーダー像

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内容説明

●はじめに

先ごろ発表された2006年3月期決算で、トヨタ自動車は連結売上高21兆369億円(前年比13.49%増)を達成し、国内製造業として史上初の20兆円企業となった。さらに世界ランキングでも米フォード社の19兆8000億円を抜いて第2位となり、もはや世界トップの米GMの21兆3800億円を追い抜くのも時間の問題となった。

なぜトヨタだけが世界の超エクセレントカンパニーとして成長を続けられるのだろうか?その成功の秘密は、大企業病に陥ったトヨタが生き残りを賭けて取り組んだトヨタの10年改革を支え続けた「新トヨタ主義」にあった。

本書は、特にトヨタを知らない若い世代の読者に対して、世界企業であるトヨタ自動車のこの10年改革を成功させてきた奥田碩(おくだひろし)、張富士夫(ちょうふじお)、渡辺捷昭(わたなべかつあき)という3人の経営トップについて、そのリーダーシップや経営判断をわかりやすく解説することを目的としている。この3人は、創業家出身以外のプロパー社長として、大企業病に侵されつつあったトヨタ自動車の経営改革に取り組み、今なおその経営努力を続けているトヨタ改革の功労者だ。

「経営は人なり」と言われる。企業経営の成功を知る上で、最も重要で確実なのは、経営トップを知ることだ。つまり、財務論や組織論といった数値分析だけにとらわれるのではなく、リーダーである経営者というフィルターを通して企業経営を見ていくと、思わぬ発見や真実にたどりつくことができる。

~中略~

トヨタを事実上、世界最大の自動車メーカーにまで成長させた企業力の秘密は、70年以上に渡ってトヨタ経営の底流に流れてきた企業憲法である「豊田綱領」と、世界最強と評価される「トヨタ生産方式」と言われる。しかし、いかに素晴らしい綱領や理路整然とした生産方式があっても、それを実践し経営改革に取り組んでいくのは人間の力である。それは、「トヨタ生産方式」によって日々カイゼンに取り組むトヨタの生産現場の汗にまみれた創意工夫であり、「豊田綱領」の精神を守りながら、常に経営改革に挑戦し続ける歴代の経営者たちのリーダーシップだった。まさに「経営は人なり」なのである。

トヨタの強さをいまさら書こうとしても、巷にはいわゆる内外のトヨタ本といわれるものが氾濫している。しかし、トヨタ自動車の企業経営を、「経営トップ、つまり人間というフィルターを通じて見る」という視点の本はそれほど多くない。本書を読まれた若い読者の方々が、創業者精神である「豊田綱領」を尊重しながらトヨタの10年改革を求心力とした、3人の経営トップたちの苦闘とカイゼンに明け暮れた人間ドラマから何かを感じ取っていただければ、筆者としてこれほどの喜びはない。

●「第1章 トヨタの異端児・奥田が取り組んだ10年改革」より

■大企業病にかかったトヨタの社長に就任した異端の経営者■

奥田は歴代トヨタの社長のなかでも「異端の経営者」と評される。奥田はなぜ「異端」なのか--。小泉純一郎総理の例を引用するまでもなく、ものごとを「改革」するには「異端」である必要がある。つまり、変わり者と評された人物こそ、それまでの常識的な慣習、さらにさまざまなしがらみに遠慮することなく、新しい価値観でものごとの本質を変えていこうとするのである。1995年当時のトヨタには、まさに奥田のような改革のリーダーシップが求められていたのである。

10年以上前、つまり奥田が社長に就任する1995年8月当時、トヨタはいわゆる”大企業病”に苦しんでいた。1995年上期におけるトヨタの半期ベースの国内販売台数は13年ぶりにシェア40%割れという緊急事態に直面していたのだ。さらに1996年には国内新車販売シェアまでもが14年ぶりに40%を割り込んでしまったのだ。

要因はさまざまあった。急激な円高と日米自動車摩擦の反動により、海外の自動車メーカーの日本市場での販売攻勢が強まっていた。1995年の国内自動車メーカーの輸出台数は19年ぶりに400万台の大台を割り、国内生産台数も1200万台にとどまっていた。そのため、それまで40%以上のトップシェアを誇ってきたトヨタの販売力に陰りが見え始めてきたのである。

もともと、高級車での圧倒的な販売力の強さを誇ってきたトヨタだが、若年層向けの車種に弱みがあり、ホンダはじめ国内ライバルメーカーに厳しい追い上げを受けていた。また、トヨタ社内にも、勝ち組企業としての気の緩みと市場ニーズを迅速に新車開発に反映できないような大企業病に侵され始めていた。そのため、トヨタ車の商品力が弱くなり、車そのものが売れなくなってきたのである。

長年トップメーカーとして君臨してきた日産自動車を業界首位から引きずり下ろして、その後13年間、日本市場の40%以上を独占してきた奢りが、トヨタ全体を蔓延し始めていた。さらに、追い討ちをかけるように、最悪の事態が発生した。トヨタの経営の最高責任者である豊田達郎が病気に倒れ、このまま社長業を継続するのは困難な状況に陥ってしまったのである。

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